レバノン首都ベイルートあれこれ

ベイルートは、

中東のパリと呼ばれているため、

治安は良いと思われがちだが、

情勢は複雑である。

レバノンの現代史を少し説明すると、

第二次世界大戦後、

中東のパリとして栄えていたが、

1975年に、レバノン内戦が勃発し、

状況は一変する。

1992年に国会議員の総選挙が実施されるまで、

内戦は続いた。

その後、

ラフィーク・ハリーリー氏が首相として、

レバノン経済を立て直したが、

2005年に爆弾テロによって暗殺されると、

国内情勢が悪化。

2006年には、

イスラエルによるレバノン侵攻が起こる。

同年停戦。

現在、治安は安定しているが、注意は必要。

ベイルート

ホリデ・イン・ベイルート

以前はホテルとして営業していたが、

内戦によって破壊され、そのまま残っている。

ベイルート

レバノン国旗で分かりづらいが、内戦の爪痕。

ベイルート

なぜかイスがたくさん。

ラフィーク・ハリーリー元首相の追悼式典が、

数日後にあるらしい。

そのための準備だと。

夕方、

イスの奥にあったテントに近づくと、

ベイルート

人だかりが、

ラフィーク・ハリーリー

大勢の人が追悼していた。

ラフィーク・ハリーリー

ラフィーク・ハリーリー元首相

追悼式典が近いため、

警備が厳重だったのか、

街中いたるところに、

ライフル銃を持つ兵士が。

市街地に戦車があり、検問所も多かった。

アジア人丸出しだからか、

身分証を求められることは一度もなかった。

夜にエトワール広場を歩くと、

誰もおらず、兵士だけ。

兵士の視界に入った瞬間、

銃口を向けられビックリするが、

手を合わせる仕草をして、

フレンドリーに挨拶される。

などなど、

街並みとのギャップが印象的なベイルート。