おやつの語源を知れる「大名時計博物館」台東区谷中

 

時計やスマートフォンに表示される14時20分といった時刻。ほとんどの人は、とくに意識していないものだろう。この時刻の決め方について、「定時法」と「不定時法」という2種類の時法がある。 

 

現在日本の時刻は、「定時法」という考えのもと決められている。「定時法」とは、1日24時間を均等に分けて時刻を決めている。

 

もうひとつの「不定時法」は、日の出・日の入りの時間をもとに、時刻を決めている。そのため、地域や季節によって時刻が違う。日本では、1873年に「定時法」が導入されるまで、一般的に「不定時法」が使用されていた。

 

現代でも日常的に使う「おやつ」は、「不定時法」の「お八つ(おやつ)」から来た言葉である。これ以外にも、「正午」「丑三つ時(うしみつどき)」といった言葉もそうである。

 

大名時計(大名のためにつくられた時計)など江戸時代につくられた和時計では、「不定時法」が用いられていた。それらが展示されているミュージアムが台東区の谷中にある。

 

本日の訪問先

大名時計博物館

『大名時計博物館』

 

不定時法が使用された和時計の専門博物館。このような博物館は、世界でもここだけである。

 

大名時計博物館

 

入口からも分かるように、知らないと中に入るにはなかなか勇気が必要である(笑)

 

表札や案内板は、いつの時代のものか分からない。驚くほど、色があせている。

 

大名時計博物館

 

中に入ると、ジャングル? 植物園? かと思うぐらい草木が生い茂っている。

 

右側の建物が博物館? それとも奥に建物があるのか? 全く分からない。

 

道の先に、赤いポールがわずかに見えているだけ。

 

とりあえずそこまで行けばよいのか、探検気分のままズンズン突き進む。

 

大名時計博物館

赤いポールにたどり着くと、大名時計博物館は左へと表記があった!

 

さらに行くのか、いったいどこまで行かされるのかと思いきや。

 

大名時計博物館

意外にも、すぐ発見!

 

大名時計博物館

中に入る前、靴を脱いでスリッパに履き替える。

 

 

大名時計博物館について

上口愚朗(かみぐちぐろう)が収集した和時計を保存するため、「財団法人上口和時計保存協会」を1951年に設立。1970年、愚朗死去。その後、息子の等によって、1975年に大名時計博物館を開館。

 

沢山の和時計を集めた「上口愚朗」とは、何者なのか。彼は、1892年に東京都谷中で生まれた。宮内庁御用達の仕立洋服店に勤務後、独立し、谷中に店を開く。著名人の服をつくりながら、顧客から陶芸指南をうけ、陶芸制作を開始。太平洋戦争により洋服店を廃業後、陶芸家に転身した人物。

 

 

展示について

スペースはあまり広くないが、大名時計だけではなく、印籠時計、和前時計、置時計、香盤時計といった様々な和時計が置かれている。

 

数は、メインの大名時計が一番多い。「大名時計・12個」「枕時計・6個」「尺時計・4個」「掛時計・6個」「香盤時計・3個」といった具合になっている。 解説を読まなければ、数十分で見終わってしまう内容だろう。

 

しかし、時計や時法に関する知識が身につくので、展示解説もしっかりと読もう!ただし、時法について何も知らない人が、内容を理解するには、数時間かかるかもしれない。

 

以下は、「大名時計博物館」で学んだことをまとめたものである。もし訪れる予定の人は、前もって読んでいると、より一層理解が深まること間違いなし!

 

 

大名時計

ザビエルによって機械式時計が日本へ入ってくる。渡来した時計をもとに、日本式の時計をつくったのが、和時計(大名時計)のはじまり。

 

江戸初期は、時計の数が非常に少なく、一部の裕福な大名のみが持っていた。中期になると、時計をもつ大名は多くなった。それにつれて大名お抱えの時計師は増え、時計の技術が向上した。後期には、数や種類がさらに増加し、手間や材料を惜しまない美しい時計がつくられた。

 

本来時計は、正確な時間を知るのものである。しかし、大名時計は、芸術品として殿様の権威や地位を高めるためのものになった。

 

江戸末期になると、厳しい国内情勢もあり、大名時計のつくる数は減った。そして明治に入ると、時法がそれまでの「不定時法」から「定時法」に変更されたため、大名時計の制作は終わった。

 

 

「正午」の語源

正午とは、12時のことを指す。12時は、「の刻」の真ん中にあたる刻なので、正午という。

 

これだけでは、さっぱり意味が分からないだろう。

 

「刻」とは、時刻の単位、または時間そのものを指す。では、「午の刻」とは何だろうか。

 

昔は時間を表すのに、十二支(じゅうにし)を使っていた。十二支とは、現代では干支(えと)ともいわれている。子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12種類。年賀状に描かれる動物でもある。

 

そして、24時間を十二支で割ると、各2時間ずつになる。深夜0時を十二支の始まり「子の刻」の正刻(刻の中間)とした。つまり、23時から1時を「子の刻」、1時から3時を「丑の刻」、3時から5時を「寅の刻」、・・・、21時から23時を「亥の刻」とした。よって、「午の刻」は11時から13時にあたる。

 

以上より、お昼の12時は、「の刻」の真ん中刻なので、「正午」と呼ばれるようになった。一方、0時は「の刻」の刻より「正子」と呼ばれる。(始まる刻は、初刻と呼ぶ)

  

 

丑三つ時

もとは、深夜の具体的な時刻を指す言葉であった。前述した「丑の刻」である「1時から3時まで」の時間を、4等分した3番目の時刻からきている。この場合、丑三つ時は、「2時から2時30分まで」を指す。

 

現代では、「草木の眠る丑三つ時」ということわざがあるように、真夜中や不吉な時間を意味する。

 

 
「午前」「午後」の語源

の刻」の午前午後である。

 

つまり、前述の正子(0時)から正午(12時)までの時間を、「午の刻」の前という意味で、「午前」 とした。

 

そして、正午から正子までの時間を「午の刻」の後という意味で、「午後」になった。

 

厳密にいうと、「午の正刻」の前と後になる。

 

 

「おやつ」の語源

現代だと、「おやつ」の時間は、15時頃を指すことが多い。

 

江戸時代も、今と同様、「お八つ(おやつ)」といった。それは、時刻を意味するだけでなく、お茶をする時間でもあった。といったことからお茶をすることが、「おやつ」を意味するようになる。

 

今日では、「おやつ」が「お菓子」の意味も含んでいる。

 

以上が、簡易解説バージョン!

 

詳しく知りたい方は、長くなるが下記に記述。

 

おやつは「未の刻八つ」からきている。「未の刻」は前述した通り、8番目の刻である。その8番目の正刻は、14時にあたる。江戸時代は、14時を「お八つ」と呼んでいた。

 

どういうことかというと、各正刻(刻の中間)の時間に、日本では鐘を鳴らして時間を知らせた。正子と正午には、9回鐘を鳴らし、1回ずつ減らした。つまり、鐘を鳴らす回数は、「9,8,7,6,5,4,9.8,7,6,5,4」となる。そして刻の順番は、「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」である。

 

というわけで、「未の正刻」である14時は、鐘を8回鳴らすため、「お八つ」と呼ばれるようになった。

 

「おやつ」の時間に当時の人々は、お茶をしていた。それにより、お茶の習慣は、「おやつ」と呼ばれるようになった。現代でも、15時頃に休憩してお茶をすることを「おやつ」という。また、「お菓子」、そのものも「おやつ」と呼ばれるようになった。

 

余談だが、江戸時代は「お四つ」と呼ばれる10時のお茶をする時間もあった。しかし、この習慣は現代に残っていない。

 

 

これまで、分かりやすいように一刻(いっとき)の時間を2時間ずつと考えていた。実際は、不定時法が使われていたため、一刻の時間は季節や場所によって変わる。

 

 

日本における不定時法

不定時法は、日の出と日の入りをもとに時刻を決める時法。時間を、明け(昼)と暮れ(夜)の2つに分けて考えている。そして、12の刻を6つずつ割り当てている。

 

昼(日の出36分前)は「卯の刻」から始まり、夜(日の入り36分後)は「酉の刻」から始まるように決められた。そのため、昼も夜も、6つの刻ずつになる。昼の時間・夜の時間をそれぞれ6等分すると、各刻の時間が出る。

 

例えば、東京における不定時法を用いた時間は下記になる。

 

夏至の日・6月21日頃

昼の時間は15時間47分、それを6等分すると、各々の刻の長さは2時間38分。

夜の時間は8時間13分、それを6等分すると、各々の刻の長さは1時間22分。

 

「丑三つ時」は、1時46分から2時6分まで。

(「丑の刻」は、1時5分から2時27分まで。それを4等分した3番目の時間より)

 

「お八つの時間」は、15時39分。

(「未の刻」が14時20分から16時58分まで)

 

 

冬至の日・12月21日頃

昼の時間は10時間57分、それを6等分すると、各々の刻の長さは1時間50分。

夜の時間は13時間3分、それを6等分すると、各々の刻の長さは2時間11分。

 

 

「丑三つ時」は、2時56分から3時28分までになる。

(「丑の刻」は、1時50分から4時1分まで。それを4等分した3番目の時間より)

 

「お八つの時間」は、14時24分。

(「未の刻」が13時29分から15時19分まで)

 

 

このように、季節によって時刻が変わるのが不定時法である。

(場所によっても変わる)

 

 

まとめ

世界でも類をみない大名時計、見た目だけでなく、内部も美しく精巧な部品で作られている。それらが勢ぞろいしているため見応えはあるが、個人的にあまり印象は強くない。

 

なぜなら解説に書かれている内容に、見入ってしまったからだ! 確かに、大名時計をはじめ、和時計そのものは美しく技術の奥が深い。しかし、時計以上に、時法に関連する知識や、それらが今日の言葉としても残っていることに感嘆した。

 

日本の標準時となる「子午線」も、時間を表す十二支の「子」と「午」からきている。時間と同様、身近なところで時法は、密接に人と関わっている。

 

このように大名時計博物館は、和時計の世界を知ることができる。だけでなく、江戸時代の時法といった知的好奇心を満たしてくれる場所でもあった。

 

繰り返しになるが、解説をしっかり読まないと、すぐに見終わってしまう。ある意味、解説がこの博物館の要ともいえるかもしれない。それと併せて、大名時計を見ることが、1番の楽しみ方ともいえる。

 

 

 

デート向き ★☆☆☆☆

子ども向き ★☆☆☆☆

外国人向き ★☆☆☆☆

(5段階評価、★が多い方が向き)

 

 

 

大名時計博物館

開館時間:10時から16時まで

 

休館日:月曜、7月から9月、年末年始

 

入館料:大人300円、大学・高校200円、中学・小学100円

 

電話番号:03-3821-6913

 

住所:東京都台東区谷中2-1-27

JR山手線「日暮里駅」より徒歩15分

メトロ千代田線「根津駅」より徒歩10分

 

併設カフェ:なし

 

併設ショップ:受付にて、大名時計博物館館報を各号200円で販売

 

図書コーナー:受付横の一角に少しあり

 

WiFi:なし

 

外国語対応:なし

 

写真撮影:不可

 

サービス:階段あり、エレベーターなし

 

地図: