東洋大学を設立、文京区の「井上円了記念博物館」へ

 

「妖怪博士」といえば、水木しげるや江戸川乱歩の小説を想像する人が多いのではないだろうか。

 

実は、「井上円了(いのうええんりょう)」も、そのように呼ばれている。東京大学在学中に、妖怪研究に取り組んだ人物である。

 

そして、「日東駒専(にっとうこません)」と称されるひとつの東洋大学を設立した。

 

博物館が、東洋大学の本部が置かれる白山キャンパスに開設されている。

 

本日の訪問先

井上円了記念博物館

 『井上円了記念博物館』(東洋大学・白山キャンパス)

 

井上円了のことだけでなく、東洋大学の校史に関わる資料が紹介されている。

 

博物館の紹介の前に、どのような人物であったのかご説明。

 

井上円了について

1858年、現・新潟県長岡市で、慈光寺の長男として生まれる

 

1881年、東京大学文学部哲学科に入学(ただ1人の1期生であった)

 

1887年、哲学館を創設

 

1904年、専門学校令により専門学校として認可「私立哲学館大学」

 

1906年、「私立東洋大学」と名称変更

 

1918年、遊説先の大連で死去

 

東洋大学創設者であり、哲学者として著名な井上円了は、前述したように妖怪博士でもあった。まだ科学の発展が乏しい明治時代。日本の社会に蔓延している迷信打破のためであった。当初は不思議研究であったが、のちに妖怪研究に取り組む。

 

たとえば、有名な「こっくりさん」。その謎を解説したのが、著書『妖怪玄談』である。

 

このように科学的見地から、妖怪研究を行った先駆者。研究をまとめた著書『妖怪学講義』は、明治天皇に奉呈(ほうてい)された。

 

 

展示について

井上円了記念博物館

入口左手には、等身大の井上円了パネルが置かれている。展示室内は、撮影禁止。広さは、狭いコンビニぐらいの大きさ。

 

妖怪に関する展示を目的に入ると、期待外れになるだろう。なぜなら、ほとんど妖怪関連の資料はないため。

 

しかし、井上円了についての資料は、さらっとではあるが揃っている。

 

とくに気になったのは、明治の大旅行家であったこと。1885年、1902年、1911年の3回。旅行期間は、なんと各々1年ほどと長期間であった。海外渡航が一般的ではない明治時代。そういった時代に関わらず、3度も期間の長い旅行を経験している。

 

このことからも分かるように、何歳になっても、新たな世界を学びに行く姿勢が伝わってくる。

 

 

塩川正十郎コーナー

塩川正十郎

博物館隣には、愛称・塩爺のコーナーも設置されている。 東洋大学の理事長、総長を務めたことによるものだろう。

 

塩川正十郎は、衆議院議員を11期務めた人物。その間、運輸大臣、文部大臣、財務大臣など歴任。

 

 

まとめ

井上円了記念博物館

 

井上円了は、教育を受けられない人にも学ぶべき機会を与えるべきと考えていた。そして、あらゆる枠や規制にとらわれない個人の「ものの見方・考え方」を育てることに注力。学校運営から身を引いたのち、生涯学習運動のため全国巡講した。

 

こういった方針・活動からも分かるように、常に教育について考え続けた人物である。それは、ただの知識を身に付けるものではなく、人間性を高めるものであった。 また、人に伝えるだけでなく、世界旅行からも分かるように、自らも積極的に新しいことを学んでいた。

 

生涯、無位無官(むいむかん)の意志を貫き、人々に教えを説いた。2度も、叙勲(じょくん)を辞退。そのあり方を、自ら「田学(でんがく)」と称した。

 

井上円了の人となりが伝わり知ることができる場所であった。

 

 

 

井上円了記念博物館 基本情報

開館時間:平日9時30分から16時45分まで、土曜9時30分から12時45分まで

 

休館日:日曜、祝日、年末年始、その他大学の定める休業日

 

入館料:無料

 

電話番号:03-3945-8764

 

住所:東京都文京区白山5-28-20

東洋大学白山キャンパス5号館1階

都営三田線「白山駅」より徒歩5分

メトロ南北線「本駒込駅」より徒歩5分

 

駐車場:なし

 

併設カフェ:なし、違う建物に食堂あり

 

併設ショップ:なし、4号館1階には生協あり

 

図書コーナー:なし

 

公式サイト:

https://www.toyo.ac.jp/ja-JP/about/founder/museum/institution/

 

地図: