はらはらじゃーにー

8ra8ra3のJOURNEY

中村屋サロンの中心人物「中村彝アトリエ記念館」新宿区下落合

 

「彝」

 

何と読むのか疑問を抱いた方が大半だと

 

もし読めた方は、漢字検定1級レベル!

 

正解は、「つね」

 

本日の訪問先

中村彝アトリエ記念館

『中村彝アトリエ記念館』

 

中村彝が実際に使用していたアトリエが、

復元整備されている。

 

複製原画や、中村彝についての展示もあり。

 

中村彝アトリエ記念館

入ってすぐ、

まるで玄関のような入り口。
 

 

中村彝について

中村彝

 

1887年 現在の茨城県水戸市で

五人兄弟の末っ子として生まれる。

 

1898年 父と母が死去したため、

東京都にいた長兄のもとへ転居。

 

幼少期から軍人を目指すが、

結核のため、その道をあきらめる。

 

その後、

療養地で絵を描くようになり、

洋画家を志す。

 

1911年 新宿・中村屋の夫妻の厚意で、

中村屋の裏にある画室に住むことに。

 

1916年 新宿区下落合にアトリエを構える。

 

1924年 死去

 

 

管理棟(展示室)

中村彝アトリエ記念館

 

デスマスク、有名な「小女」、年表

など展示されている。

 

中村彝アトリエ記念館

 

残念ながら、すべて複製。

 

しかし、

大日本印刷株式会社の技術により、

本物のような出来栄え。

 

中村屋サロンのメンバー

中村彝アトリエ記念館

 

芸術に深い造詣があったため、

新宿中村屋・相馬夫妻の自宅には、

多くの芸術家、文人、演劇人らが出入りした。

 

まるでサロンのようであったため、

後年、「中村屋サロン」といわれるように。

 

当初サロン中心人物となったのは、

相馬愛蔵と同郷の彫刻家・碌山であった。

 

しかし、

30歳の若さで亡くなってしまい、

その後中村彝が中心に。

 

 

アトリエ棟

 

エロシェンコをモデルにした絵

中村彝アトリエ記念館

 

エロシェンコは、

「盲目の詩人」と呼ばれたロシア人。 

(正確には、現ウクライナ)

 

幼いころに失明し、盲学校へ。

 

日本では盲人が自活している話を聞き、

来日。

 

中村屋サロンで彝と出会い、

絵のモデルに。

 

アトリエ風景

中村彝アトリエ記念館

中村彝が居た、

当時の様子が再現されている。

 

アトリエ天井

中村彝アトリエ記念館

天井まで木製

 

大きな窓があり、

太陽光がサンサンとふりそそぐ。

 

アトリエの壁

中村彝アトリエ記念館

壁のくぼみのスペースが、

洋館をより洋館らしく。

 

絵の具あと

中村彝アトリエ記念館

アトリエとして使用していたため、

床には飛んだ絵の具が。

 

きいの部屋

中村彝アトリエ記念館

中村彝の世話をしていたきいが住んでいた部屋。

 

「和」の畳・襖、「洋」の窓・壁、

この二つが組み合わさった和洋折衷

 

 

敷地内

 

中村彝のパネル

中村彝アトリエ記念館

 

最近作ったのかな?だいぶ綺麗だったので。

 

それか、雨の日は出してないのかも。

 

井戸

中村彝アトリエ記念館

 

 アトリエ全景

中村彝アトリエ記念館

 

 屋根の飾り

中村彝アトリエ記念館

 

屋根についているクルクルが、

良い味を出している!

 

 

まとめ

中村彝

 

中村彝

 

新宿中村屋でお世話になったが、

「小女」のモデルである長女俊子と惹かれ合い、

次第に相馬夫妻から距離を置かれるようになった。

 

その後は転々とし、

俊子との恋も実らず、

終の棲家である下落合のアトリエへ。

 

死後建物は、

同じく芸術家である鈴木誠が所有し、

増改築された。

 

参考までに、

記念館は、増改築された建物を解体し、

当時から残る部材を使い、

建築当初の姿に復元。

 

彝と同時代このあたりは、

新興住宅街であったため、

アトリエを持つ芸術家は多かった。

 

アトリエ巡りをしながら

当時の暮らしぶりを垣間見る。

 

そして、

休憩がてら、あるいはご飯に、

新宿中村屋へ。

 

いっそう味わい深いものになるだろう。

 

 

 

中村彝アトリエ記念館

開館時間:10時30分から16時30分

休館日:年末年始、

毎週月曜(祝日の場合、翌日)

入館料:無料

電話番号: 03-5906-5671

住所:東京都新宿区下落合3-5-7

JR山手線「目白駅」より徒歩10分

公式サイト:

www.regasu-shinjuku.or.jp

地図: