渋谷区といえば、代官山、渋谷といった街がある。そのため、おしゃれな、あるいは遊びにいく場所といった印象ではないだろうか。
実は、渋谷がおしゃれな「流行の発信地」というイメージが定着したのは、1980年代頃からである。
歴史をたどると、渋谷という名称からも分かるように、谷があった。その谷底につくられた街である。宿場、武家屋敷、畑など。
そういった渋谷区の歴史を知ることができる博物館が、渋谷駅から徒歩20分ほどのところにある。
本日のミュージアム
『白根記念渋谷区郷土博物館・文学館』
渋谷区の歴史が分かる郷土博物館と、渋谷区ゆかりの文豪を紹介した文学館を併せた施設になっている。
前身は、渋谷区立中央図書館内に、設置されていた「郷土資料館」である。
そして、渋谷区の議員を務めた白根全忠より寄贈された土地と建物を、全面改築し、2005年に開館。
一体どのようなミュージアムなのか、気になったものをご紹介!
施設入り口の手前(左側)
左:庚申塔(こうしんとう)
右:阿弥陀一尊図像板碑
庚申塔案内板によると、「右側の二基は、寄贈されたもの」と書かれている。
二基???
塔は、一基しかないような気が・・・。手前のものと合わせて二基ということなのか。
施設の1階
ミュージアム内に入ると右手にすぐ受付があり、入館料を支払い中へ。
ハチのお出迎え
施設内に入ると、すぐに「忠犬ハチ公」がいる。リチャード・ギア主演で、ハリウッド映画の題材にもなった犬。確かに、「渋谷」といえば、「ハチ」である。
ご存じない方のために、「ハチ」について、さらっとおさらい。
東京帝国大学教授上野英三郎の、飼い犬であったハチ。教授とともに、渋谷駅まで行くことが多かった。しかし、ハチを飼い始めて1年後のある日、上野教授は急死してしまう。ハチは教授の死後何年間も、渋谷駅で主人の帰りを毎日待ち続けた。そういったことから、「忠犬ハチ公」と呼ばれている。
話は脱線したが、1階は企画展示コーナーと図書コーナー。館内は、ほとんどが撮影禁止。カメラOKのマークがある場所だけ、撮影可能になっている。
施設 2階
郷土博物館エリア。ナウマンゾウがいた時代から現代まで。渋谷区で発見されたものや、人々の暮らしぶりが紹介されている。
土器体験テーブル
本物の縄文土器が、テーブル手前のBOXに置かれている。そして、「持ち帰らないでね(7点)」と書かれていたが、6点しかない?!
既に、1点が消えている。これは事件なのか、ただの表記間違えなのかは分からない。私は何もしていないということだけは確かである(笑)
このコーナーは、粘土を使って土器制作体験の場になっている。その粘土が、使われた形跡がないので、たぶん元から縄文土器は1点少なかったのであろう。
江戸時代の生活道具
複製だが、江戸時代の人々が使っていた道具を、手にとることができる。そして、昔の人は、「このように生活していたのか」と想像することができる。
明治時代の納屋
明治の頃、渋谷区の一部は畑であったので、このような納屋があったであろう。
昭和初期の住宅
畳のようにみえるが、コルクの上に畳表が敷かれている。なぜコルクが使われていたのか。全て畳だと値段が高いからなのか? 断熱材的役割なのか? その理由については、書かれていなかった。
ガス・水道・電気と完備されており、現代の生活とさほど変わらない。しかし、家電製品は普及していない。
オリンピックトーチの模型
1964年東京オリンピックの聖火リレーで使われたトーチ。持ってみるとずっしり重い、1㎏以上はある。これを持って走るのは、なかなか大変だろう。
このように2階では、渋谷区の歴史について紹介されている。その中でも、「ワシントンハイツ」と「恋文横丁」の2つは歴史を語るうえで外せない。
ワシントンハイツ
かつて存在した在日米軍のための団地である。位置は、現在の代々木公園を含めた一帯になる。
もとは、明治時代から陸軍の訓練所があった場所。太平洋戦争が終わり、連合国軍によって土地を取り上げられた。そして、米軍向けの住宅「ワシントンハイツ」が建設された。
連合国軍は日本から撤退することになったが、アメリカは在日米軍として引き続き駐屯。「ワシントンハイツ」も、同様。
1964年東京オリンピックが開かれることで、「ワシントンハイツ」の場所を選手村・競技場に使うことが決まり、返還されることになった。
その跡地は、現在、代々木公園や国立競技場になっている。
恋文横丁
丹波文雄の小説『恋文』で有名になった横丁。その小説がもとに映画にもなった。現在の場所でいうと、渋谷のヤマダ電機のあたりになる。
戦後、この辺り一帯は、闇市が広がっていた。そして、朝鮮戦争当時、英語のできない日本女性のために、米兵あての恋文を書く代筆屋が一角にあった。
現在は、面影は全くなく、渋谷109の裏に標識だけが残っている。
施設 地下2階
文学館エリアになっている。渋谷区ゆかりの文学者が、居住した順に紹介されている。
とくに目をひいたのは、文芸評論家・奥野健男の再現書斎。その奥野健男について、大々的に取り上げられていた。
まとめ
1階は、企画展とライブラリー
2階は、郷土博物館
地下1階は、事務所
地下2階は、文学館
「白根記念渋谷区郷土博物館・文学館」、訪れるまで、「白根記念」とはどういう意味が含まれているのか疑問であった。理由は以外にも単純、寄贈した人物の名前が付いているだけであった。
そして入館料は100円だが、渋谷区についてよく分かり、ここでしか会えないハチとの撮影スポットもある。また、とても立派な入場券もついてくる。一方、施設の案内パンフレットは、印刷した紙を折っただけであった。なぜ、こんなに紙の質が違うのかは、謎である。
渋谷区の郷土に関する歴史を知りたい人には、さらっと学ぶことができるので、うってつけである。ただ、文学館エリアについては、個人的に、資料が並んでいるだけのように感じた。そのため、あまり博物館的面白さは伝わってこなかった。しかし、再現書斎があるので、奥野健男について知りたい人には良いだろう。
今なお開発が続く渋谷区、その今昔を知ると、街が普段とは違ったものにみえる。それは、新たな渋谷を発見することでもある。過去を学ぶとは、新たな面が分かるということ。新たな渋谷を見いだすことができるミュージアム!
デート向き ★★☆☆☆
子ども向き ★★☆☆☆
外国人向き ★☆☆☆☆
(5段階評価、★が多い方が向き)
<参考>語句解説
庚申塔(こうしんとう)
「庚申塔」とは、江戸時代の民間信仰のひとつである「庚申講」を続けた記念に建立される石塔。
庚申講(こうしんこう)
「庚申講」は、庚申の日神仏に祈願し徹夜をする行事の集まり。
庚申の日(こうしんのひ)
「庚申の日」は、庚と申が重なる日のこと。干支(えと)は、年賀状でもお馴染みの子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥。十干(じっかん)は、数字のようなもの。甲乙丙丁戊己庚辛壬癸の10個。干支は12日ごと、十干は10日ごとに繰り返すので、庚と申の日が重なる庚申の日は、60日に1回現れる。
阿弥陀一尊図像板碑
室町時代中頃(15世紀)に制作された、渋谷区唯一の図像を表す板碑。渋谷区指定有形文化財になっている。阿弥陀如来一尊と月待供養が刻まれた図像板碑は、関東地方に十数点のみ。
板碑(いたび)
仏教で使われた供養塔(くようとう)
月待供養(つきまちくよう)
特定の月齢夜に集まった民間信仰。月齢(げつれい)は、月の満ち欠け。
白根記念渋谷区郷土博物館・文学館 基本情報
開館時間:11時から17時まで
休館日:年末年始、毎月第4月曜(月曜が休日の場合、翌日休館)
入館料:一般100円 小人50円
電話番号:03-3486-2791
住所:東京都渋谷区東4-9-1
各線「渋谷駅」より徒歩20分
駐車場:なし
併設カフェ:なし
併設ショップ:受付にて図録等の販売あり
図書コーナー:あり(1階)
イベント:あり。勾玉づくりの体験学習、短歌や中国古典を学ぶ文学講座、渋谷を歩く歴史講座など様々なイベントが開かれる。
公式サイト:
https://www.city.shibuya.tokyo.jp/shisetsu/bunka/shirane_index.html
近隣施設:國學院大学博物館
地図: